ニセモノノウタ9

そんで、耳にイヤホンをつけまして、ある程度その曲を聴いたところで僕の感想を彼女に伝えたわけですよ。

なんか宗教くせえなと。

僕から何かしら批判的な意見を言われるだろうと、彼女もある程度は予測をしていたんだと思います。

僕からの宗教くさい発言に対してそれを理詰めで説明をしてきました。

このアーティストの楽曲の作詞をしている人は、歌詞のテーマとして、戦争だとかニュースで話題になった事件や社会問題について、それを歌詞の中にメッセージとして込めてる曲もあるから宗教っぽく聴こえるんじゃないの?と。

なるほど。

そこまでは彼女も理解できているのだなと。

ちゃんとそこまで掘り下げて好きなものについて調べてるわけだからね。

批判から好きなものを守ることもできるなかなと。

もちろんドヤ顔で言ってましたけどね。

でだ、それらは調べれば誰でも知ることの出来る情報であり、理詰めによる証明が可能なことだ。

次に、僕の直感としての意見を言わせてもらったのよ。

この作詞してるやつは、学生時代に真面目なやつだっただろ?と。

まさかこんなことを言われるとは彼女も想定外だったとは思う。

もちろん真面目なことはいいことだけどね。

だけど学生時代に真面目だったやつは自分の言葉や行動によって巻き起こる周囲の反応や変化、その結末までの流れを感性が多感な時期にそれらを流動的に体感する学習をしていない。

それは若さという未熟者の免罪符があってこそ許される経験でもあるから。

物事の本質と真面目な者の数とは違うわけで。

歌詞のテーマだとか商業的な計算や賛同する者の数が問題なのではなく。

その何らかの表現を実際に実行した先の結末を知っている者とは、そのような経験から絶対に使うことのない言葉や行動や文脈というものがある。

残念ながら何万人を集客しようと、だからその人の言っていることは正しいのだ、とはならないのだ。

一定数のファンがいるからそれで生活をすることが出来るからプロと名乗れているだけなのだ。

根本的に作曲者がボーカルである場合に作詞が別の人が書いた曲というのは、嘘でしかない。

例えば、純粋に雨上がりの青空をイメージして奏でたメロディがあるとして、そこの歌詞に、この青空が戦場の青空と繋がってるみたいな歌詞になっていたら作曲した本人が歌う時には本来のイメージとは違う感情で出力された歌声には何かしらの負荷が生じることになる。

作曲者がボーカルで作詞が別人であることの違和感とは、言葉の使い方や音に乗せることに生活感との違和感に似ている。

つまり、この作曲者であるボーカルとは嘘をつくのが下手であり、その人間性が魅力であると感じるのだ。

歌を歌うことは曲の本来の音程に合わせることが正解なんだろうけど、自分自身の気持ちよさで歌うと本来の音程とは違ってくることの方が僕は正解だと思う。

それは一般的には音痴だし、カラオケの採点なら機械的にも音痴だとされるけれど、自分が気持ちよく歌っている場合には、たとえそれが音痴に聞こえたとしてもそれこそが本物の歌だと思うのだ。

このメッセージを伝えたいという歌詞が本物ならば、それだけで詩として作品になる。

なんというか、遊び心を感じられない真面目な意見でしかないわけよ。

基本的に男は歌詞にはあまり興味がない。

洋楽なんか特に意味がわからない。

それでもすんなり音が意味として歌詞も入ってくる曲もある。

彼女から渡されたイヤホンで初めて聴いた曲でも様な違和感を感じた。

それらは偶然にも当たっていたわけで、てとことは、この歌詞に込められたメッセージってやつは学生時代に真面目だったやつらには共感する歌詞なんだろうなと。

だけど、なかには歌詞に後押しされて行動を起こすやつもいるかもしれない。

5年後、10年後の未来と現在は違うけれど、人間の本質はさほど変わらない。

僕の言ってる真面目とは勉強が出来るとかではなくね。

アーティストに憧れてタトゥーを入れたやつとかは、見た目は不良だけど根は真面目なやつだと思うよ。

そういう真面目な連中を食い物にするやつが歌ってる歌は、ニセモノノウタだと僕は言いたいわけだ。

お前の歌う愛が本物ならば、被害を受けた消費者であるファンの身体に刻まれたタトゥーを、お前が手にしたその印税で消す義務がある。

クラブなんかにしてもイベントを主宰してるやつがドラッグをさばいてる元締めならば客は人生すらも踊らされていることになる。

そこでの集客力とは音楽が人間に対する殺傷力に変わる。

万人ウケとは自分の好みとは違って、狙って作ったものだけが万人ウケという結果になる。

僕は19〜21才の頃に大喜利サイトにはまっていた時期があったのだが、そこでは同じように投稿している人達と、この疑問について何度も話し合いをしていた。

管理人が独断で評価するサイトの1位のネタの面白さと、投票数で決まるサイトの1位のネタの面白さは少し違うのだ。

投票型のサイトは万人ウケでの1位だし、投票した人からの感想のコメントも書いてあるので1位の結果として、嬉しいことは嬉しいのだが、ネタを作った側の本心としてはぶっちゃけ(え?これが1位なの?)という複雑な気持ちでガッツポーズをする感じになった。

もちろん男ウケや女ウケもあるけど、無記名投稿の最大の利点とはテクニックで勝てることだった。

自分が面白いと思って笑いながら作ったネタが評価される時期が実質的なピークなのだ。

こんな感じが面白いんでしょ?と、狙ったものが評価されても嬉しくない時期が来るのだ。

何が面白いのかが全くわからなくなってくるのだ。

最終的にどうなるかというと、全員が飽きるのだ。

オフ会という馴れ合いをネット上に持ち込むと内輪ネタみたいな空気になり、そうなるとプライベートの馴れ合いと変わらなくなってくる。

義理でネタを投稿したり、サークルみたいなそういう関係性に対して参加者の熱は次第に下がっていった。

この参加者の熱量をいかに維持するかを偽物のアーティストは考えることになるはずだ。

それで生活をするとなればよりウケる歌詞を選択することは理解できる。

僕には女心は理解出来ないのでこれが正解だと言われたらそうなのかもしれないけどね。

もの凄い後ろから叫んでる野次にしか聴こえないわけ。

白装束に身を包んだ辞世の句ではないのよ。

なんつーか、無責任な叫びって今はネット社会だから共感されるのかもしれないけどね。

ちゃんと話にオチをつけられるやつなのか心配になる感じなのよ。

だってボーカルの考えた歌詞ではないわけでね。

その言葉や表現を現実社会でも使ったことあるの?って思うわけよ。

当然ながら逆もあるわけじゃん。

それを言われる側になってもちゃんと着地できるのかね?と。

僕もこうやってブログ書いてるから同じようなこともあるじゃない。

コメントにおもんないとかやめたら?って書かれたこともあったけど、それは何かを表現するからには起こる現象なわけでさ。

誰かもわからない相手とのコミュニケーションで着地をするってのは結局は自分を殺しに来た相手をいかに理解するかだと思うのよ。

それが音楽ならリズムだったり笑いならユーモアなんだろうけどね。

だから彼女が曲の世界観にはまるのは構わないけど、その掴んだ手が連れて行った先の世界からはたぶん逃げるしかないだろと思うのよ。

やっぱ無理って全員で一斉に逃げるか、何人かは逃げ遅れて殺されるイメージ(笑)

だから曲に関しての僕の意見ってのは、魚の小骨を取ってあげてるようなもんだけどね。

魚を綺麗に食べれない女って嫌なのよ。

僕の彼女はそういう女子力が0なんでね。

応援上映に行ったときも彼女はカフェでサンドイッチを食べてたのよ。

サンドイッチすら綺麗に食べれんのよ。

トレイに食べこぼした具が落ちてるわけ。

それを注意したら最初から落ちてたって言うのよ。

そんなわけねえじゃん。

女の闇の部分ってよくわかんないんだけど、自分の彼女のそういうところだけは許せないのだよ。

前に彼女のとんでもない闇を発見して2時間説教したのよ。

彼女に誘われてライブに行ったときの話である。

つづく。

広告を非表示にする