ユリイカ2017年9月特別増刊号中学生のウテナ

ユリイカ2017年9月特別増刊号幾原邦彦特集

中学生のウテナ

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最近どうも、文章が雑だな。粗製濫造気味だ。無理に毎日書かなくても良いのだけれど、一度止めてしまうと書けなくなりそうな気がしてならない。それで読むに堪えない文章になっているのなら、本末転倒ではあるのだが。

まあ、書かない方がマシのレベルまで落ちたら考えることにしよう。

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時、ご自身でも言及されているけれど、西田藍さんは共感覚の持ち主なのだそうだ。

数字や文字に色を感じる程度、とのことだけれど、残念ながら僕にはない感覚なので、なんとなく想像することしかできない。

だからこれは仮説、というほどでもない思いつきなのだけれど、西田さんの文章は言葉の選択にその共感覚が影響しているのではないか、と考えている。

本人にしかわからない言葉同士の繋がりや、相性といったものが、感覚としてわかるのであれば、無自覚でも言葉の選択に影響を与えているのかもしれない。

だとすると、なぜそんな表現になるのか、というシステムは本人にしか判らないってことになるな。

先日の西田さんのブログを読んで、そんなことを考えた。1

とはいえ、単一の文字や数字ではなくて、単語や語句にイメージを想起させられる、というのは誰にでもあることだろうと思う。僕がこのブログで、漢字かひらがなかの表記にこだわるのも、そこから受けるイメージが違うからだ。

私とわたしでは、硬軟冷温明暗高低とか色なパラメータが違ってくる。ちょっと言語化できないのだけれど。

そこに明確な相関があれば、僕なりの解釈でも西田さんの思い描いたものに近づけるのかもしれない。

なんか、ちょっと僕が感情過多だな。

ユリイカの話をしよう。

この文章の、ひらがなの使い方には意図を感じる。西田さんが、何らかの意図をもって、漢字とひらがなを使い分けているのは間違いないと思う。

それと、口語表現だ。

前回、冒頭の文章について色と書いたけれど、なんもわかっちゃいなかったというフレーズは鮮烈だった。

最後まで読んでみるとなんにもわかっていないウテナという表現があった。この違いが、偶然などであってたまるものか。2

同じような構図として、身長的にもぴったしだったというのもあった。そうなのだ。ここでぴったしを使う西田さんのセンスこそ、僕が一番期待していたものだ。

ひらがな表現を集めよう。

そのなかにいたふたりあたまがまっしろなひとりきりふたりだけせんぱいろうかいまでも

これは、描かれた情景によって描き分けられた表現だ。好例がある。

私は王子様に憧れるだけの、弱しい女だったとあこがれの王子様で、二つの表現が使い分けられている。

もうひとつ。性行為について、それを自らのものとして考えたことについて饒舌に書き綴った段落がある。思春期の少女の抱く、セックスに対する嫌悪と恐怖で語られたところだ。ここには、ひらがな表現は一切ない。むしろ漢字が多めなぐらいだ。表現する内容に適当な文体を西田さんが選んでいるのが良くわかる。

この表現の違いが、共感覚によるものかどうかはわからない。僕が前に読んだ本の中では、共感覚は文字と言うよりは音による違いが顕著であとアは同じに見える事が多い、というのがあった。それが本当だとすると、ひらがなと漢字の表記の違いでイメージが違うのかどうか、ちょっとわからない。

なんだかわからなくなってきたぞ。

僕の琴線に響いたのは確かだけれど。

文章にこめられた西田さんの意図を、正確に把握できているかどうか、正直あまり自信がない。そもそも僕と西田さんでは共通項がほとんどないので、全てを汲み取れるわけはないのだ。そこにそんな期待はない。

ただ、これは単なる希望だが、西田さんなら、わかろうとする者にわからなくてもいいとは言わないような気がする。わからないと言ったら、わかってくれなくていいです、と言うかもしれないが。

まあ、好き勝手なことを言っている僕のこれが、西田さんにとって、あまり不快なものでなければいいな、とは思う。

今回あえて内容には触れなかった。

もう一度、この2017年9月臨時増刊号のユリイカについて書いて、これを締めくくりたいと思う。

1これについては、もちろん、いずれまとめて書く

2チェーホフの銃というやつ